足るを知る
渡邉正己
京都大学名誉教授
公益財団法人ひと・健康・未来研究財団 副理事長


京都・龍安寺は、方丈庭園(いわゆる龍安寺の石庭)が有名ですが、茶室蔵六庵の露地にひっそりとある知足の蹲踞(つくばい)注1も趣があります。丁度、古銭のような形をした蹲踞で全体は丸い形をしていますが、中央の水受けが四角に切られており徳川光圀の寄進品といわれています。その蹲踞には、時計の正午の位置に「五」、三時の位置に「隹」六時の位置に「疋」、そして九時の位置に「矢」と刻まれています。中央にある四角は「口」を表しそれぞれで漢字を作り組み合わせ「吾唯足知」(われ ただ たるを しる)と読みます。これは釈迦が説かれた教えの一つで「足ることを知る人の心は穏やかであり、足ることを知らない人の心はいつも乱れている」という意味とされています。いまの日本人には、なかなか判りにくい言葉かもしれませんが言い換えれば「貧しい人とは何も持ってない人ではなく、多くを持ちながら、もっと欲しいと満足できない人のことである」ということです。

いま、日本のリーダー達は、「国民の幸福は、先端科学を発展させて製品と技術を売って経済的に潤うことによって達成できる」と信じているようです。しかし、経済が際限なく膨張できるはずが無いにも関わらず、先進国は、競って未来の希望を食いつぶしながら経済規模を膨らませてきました。こうした状況を憂いて、日本を代表する財界のリーダーであった京セラの稲盛和夫氏は、環境と経済に関するシンポジウムで、大量生産・大消費を是とする経済活動を批判し「足るを知る」を基本とした「使い捨て」でない新しい経済活動に転換することが21世紀を生き抜く知恵であると発信されました。環境保護活動家のワンガリ・マータイ注2さんは、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表す「勿体無い」という日本語に感銘を受け、資源を「使い捨て」にしないことが自然環境を守るために重要だと「MOTTAINAI」キャンペーンを展開しました。二人に共通するのは、現代の発展的経済活動を是とする社会構造を見直し、経済的拡大はなくとも、自然と協調しながら精神的満足を得られる社会を実現したいということでしょう。
それは、ちょうど、人口や経済はほとんどゼロ成長であったにも関わらず、社会は少しも停滞せず文化的に高い水準を維持できた元禄以降の江戸時代を再構築するということに通じます。この時代の物作りを研究されている国立博物館の鈴木一義さんは、江戸時代の人々の営みは、「儲けるためではなく人々が喜んでくれることを楽しみにおこなわれていた」と解析されています(本誌第一号記事参照)。このように、日本人は、お金より精神的な満足を重視して社会を作ることができた希有な民族なのです。
足るを知って、楽しみが満ちた社会を取り返すことが、日本の閉塞感を打開する唯一の方法ではないでしょうか?


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