物々交換の社会は理想
渡邉正己
京都大学名誉教授
公益財団法人ひと・健康・未来研究財団 副理事長


今日は、私達夫婦にとって、とても嬉しい日になりました。食卓のうえに、銀むつの西京漬、春菊のお浸し、スナップ豌豆とブロッコリーとトマトのフレッシュサラダ、ジャガイモと新玉葱の煮物が並んでいます。なにが嬉しいかと言えば、これらの食材は、すべて自分で作ったものか、物々交換で手に入れたものだからです。私は、四十二年の大学勤務で、いろいろな都市に住みましたが、いずれもその県では一番大きな都市で、便利な生活を送っていました。そこでは、近くのスーパーマーケットで希望の食材を簡単に手に入れることができました。そんな便利な生活を続け経済的価値に基づいた競争世界を生きながら、次第に「このような生活が本当にひとを豊かにするのだろうか?」というぼんやりとした疑問を持ち始めていました。丁度、その時期に、狂牛病や汚染ギョーザ事件など食の安全が脅かされる出来事が起きたことが切っ掛けとなって、「衣・食・住」のうちで「食」を自給自足で賄ってみたいと考えるようになりました。そして、五年前に思いきって高野山の麓・紀の川に移ったのです。この地は、平均年齢七十五歳を越え、六十六歳の私と家内が若いほうから二番めの家族という典型的な限界集落です。移り住んだ当初は、農業素人の私がまともに野菜を作れるはずはなく、農村に住んでいながら、スーパーマーケットで鮮度の悪い野菜を買って食べる状況でした。それが、移住して五年目にして始めて、私自身が作った春菊、スナップ豌豆とブロッコリーを近所にお裾分けすることができたのです。すると、八十歳を越えたA子さんが来られ「あんたの春菊、やらかくて美味しかったよ」という言葉とともに彼女が作った新玉葱とジャガイモを頂きました。私達夫婦にとって、やっと目標の第一段階をクリアできたのです。この経験から、当初目指した「自給自足」ではなく、周りの人々を巻き込んだ「物々交換」の方が、数段素晴らしいことを実感しました。

ひとは「生涯にわたって継続する家族を作り、複数の家族が集まって共同体を作る」唯一の動物であるといいます。家族内では、見返りを求めずに奉仕する「家族の論理」が働きます。一方、家族の外に出れば、何かしてあげればお返しが期待できるという互酬性といわれる「集団の論理」が働きます。この二つを両立させるのは困難ですが、ひとは、この二つを両立させて社会を作れる唯一の動物なのです。しかし、いまの日本を見ていると、経済成長期に一気に進んだ核家族化が「家族の論理」を崩し、極端な個人主義の台頭が「集団の論理」を破壊しています。福島原発事故後、福島では、少なからず家族離散が進み、事故対応で、個人主義がむき出しになって社会崩壊が起きていると報道されています。こんな時こそ、家族を大切にし、複数の家族が共同体として助け合う本来の優しいひとの社会を取り戻す必要があるのではないでしょうか。
この物々交換の精神は、最近、日本が陥っている困難な問題を解決できる最良の策だと思いませんか

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